1999年クレサラ白書

司法書士による被害者救済の歴史と現在

                     静岡会 芝    豊

   現在全国で盛んにクレ・サラ被害者救済の実務に熱心に携わっている司法書士 の入会年度を見てみると、比較的最近司法書士になった人が多くなってきた。こ のこと自体は精神の若い、エネルギーに溢れた情熱家が増えてきたということと 同義であろうから喜ばしいことである。しかし、そうであるならば、また司法書 士のこの問題への参加のプロセス・先駆者の味わった苦悩も活字にして残してお くのも意味のあることに相違ない。

貸金業規制法制定前夜

消費者金融業は1960年代初頭、いわゆる団地金融として誕生した。その 後融資対象を一流企業に勤務するサラリーマンにまで拡大され、サラリーマン 金融(通称サラ金)と呼ばれるようになった。
 当時の出資法の上限金利は日歩30銭(年利109・5%)という凄まじい ものであったが、融資する業者側も資金が潤沢ではなく、種々の問題があった にしても、量的規模が小さく、社会の表面に出て問題が顕在化されることはな かった。
ところが、1973年のオイルショックにより、産業界の資金需要が極端に 冷え込み、融資先のなくなった銀行等金融機関が、一斉にサラ金への貸し出し を始め、潤沢な資金を手にしたサラ金は、業務拡大につぐ拡大をはかり、極め て短期間の間に融資残高が8倍近くも増える業者もあった。このような状況下、 論理必然的に多重債務者が増大し、また取り立て行為の厳しさは現在の比では なく、多くの自殺者、夜逃げ者が出て、社会問題となった。これがいわゆるサ ラ金地獄といわれるものである。
では、この時司法書士は、どのようにこの社会病理に対処していたのであろ うか。確かに青年会等では「これからの司法書士はサラ金問題をやらなければ いけない」と各地で弁護士等を招いて研修会等を行ったが、実際の被害者救済 に当たったのは、鳥取の森原さんや埼玉の柿崎さんら数えるほどしかいなかっ たというのが本当のところであろう。いわゆるサラ金二法(貸金業の規制等に 関する法律・出資法)が制定、改正されたのは1983年4月であるが、この 中で司法書士の存在が一顧だにされていないのは、実績からいっても無理から ぬことであった。現在貸金業規制法21条の取り立て行為の規制の金融監督庁 ガイドラインにおいて、「債務処理のための受任通知」の主体に司法書士がな れなかったのは、このような経緯があるからである。
 ともかくも、このサラ金二法の成立により、サラ金問題は一時沈静化したと 思われた。この現象が、はたしてサラ金二法の成立の効果のみによるものであ るか、あるいは後にバブル景気といわれる長期の景気拡大によるものかは判然 としないが、自然人の破産件数も9000件台で推移していた。

被害者交流集会と司法書士の参加

1990年(平成2年)バブル景気崩壊による社会的パニックは多重債務者 の増大に拍車を掛けた。当時すでにクレジット会社は、品物の購入に際しての 立替払いと同時に直接のキャッシング業務にも進出しており、サラ金問題は、 クレ・サラ問題と呼称を変えていた。1992年には、破産件数も4万件を突 破し、第2次クレ・サラパニックといわれる状況となった。
この間も被害者交流集会は全国各地で着々と開催されており、司法書士もわ ずかながら参加していたが、本格的な参加は1992年に行われた岡山大会で あると思われる。同大会では、現在も継続して発刊されている「クレサラ白書」 をはじめて世に問うた。続く静岡大会では、司法書士が、単独ではじめて分科 会を開催し、分科会のテーマである「弁護士以外による被害者救済方法」は、 以後試行錯誤を繰り返しながらも、数々のノウハウを考案し、実務として定着 させてきた。また被害者交流集会の参加者も確実に増加し、続く名古屋大会で は、司法書士、弁護士の参加人数が同数となり、以後の大会では、司法書士の 参加人数が弁護士を上回って今日に至っている。

「司法書士クレジット・サラ金情報センター」の設立

 司法書士のクレサラ問題への参加者が増加したことにより、個々の司法書士が 持つ情報の集積と、この問題の最先端の情報の伝達、さらには新人諸君への啓蒙・ 実務の伝授等を目的として全青司は、1995年「情報センター」を設立した。 具体的な活動としては、上記のものの他に、毎年1度シンポジュームを開催し、 最先端の情報・先駆者の講演、さらには分科会において、実務における諸問題等 の議論を行っている。近年の参加者は200名近くにもおよび、司法書士のこの 問題に対する関心の深さが伺われる。

コンピュータの有効利用

さらにまた司法書士は、上記の情報センターと並列して、パソコン通信を利用 した「パティオ」を1996年立ち上げている。地元にこの問題に詳しい司法書 士がいれば、種々の疑問を直接聞き、教えを請うこともできるが、地域によって 温度差があることは否めない事実であり、情報の共有化と共に、疑問点を直接ネ ットにあげることにより、直ちに回答あるいは経験談を聞くことができ、新人は もちろん、ある程度の経験を積んだ司法書士にとっても、極めて有効な手段とな っている。ちなみに現在までに相談、回答件数は2200を超え、大きな情報の 集積地となっている。

運動への妨害

前述したように司法書士のこの問題への参加が本格化してきたのが、いわゆる 第2次クレサラパニック時であることから、当初は業者側の戸惑いもあり、非常 に厳しい対応を迫られたことは、全国各地でこの問題の先駆者として活動した司 法書士は皆経験したことであろうと思われる。業者側の罵詈雑言・電話での弁護 士法違反の連呼等は、いわば現象的なもので、煩わしさはあっても本質的な痛痒 は感じなかったが、後にニコニコクレジット事件といわれる事柄はこの問題に取 り組む司法書士に大きな緊張を強いることとなった。この事件の詳細は省くが、 相手方は懲戒も匂わせており、この事件を、なんとしても乗り越えなければ、 ここまで盛り上がった、この運動への参加気運が一気に腰砕けになり、またあと に続く新人がこの問題への取り組みを躊躇する契機になる恐れもあった。幸いこ の事件は、この問題に熱心に取り組んでいる錚々たる弁護士21名が即座に対応 し解決したが、司法書士にとっては、この問題に真摯に対処していれば被害者・ 弁護士・司法書士といった区別ではなく、社会の病理現象に立ち向かう仲間とし ての一体感が実感できたことは大きな収穫でもあった。
 ちなみに付言すると、現在においては、司法書士がこの問題に関与して破産等 の申立をしても、業者側の反応としては、通常の言葉遣いで事件番号等の問い合 わせがある程度である。これは運動を継続してきた司法書士の先駆者が勝ち取っ たものであるといっても良いであろう。

被害者の会の設立

司法書士の被害者救済活動は、破産・調停申立等の法律事務ばかりではなく、 被害者の会を立ち上げ、より広範囲にわたってこの問題に取り組もうとする姿勢 も顕著となってきた。司法書士主導型の被害者の会は大阪の「いちょうの会」が、 もっとも古いものであると思うが、現在においては、全国各地で被害者の会が活 発な運動を展開している。運動の形態は、勉強会、研修会等各会に共通するもの ももちろんあるが、インターネットを使ってホームページを開設している会も数 多くあり、いずれもユニークな活動をしていることも特徴的である。

相談窓口の拡充

多重債務者が、整理屋・換金屋等の悪徳商法の餌食となるのは、適切な相談 窓口が足りないことが一因であることは以前から指摘されていた。司法書士が 街の法律家といっても、一般の人にとって敷居が高いのは、弁護士事務所と同 様である。そこで相談窓口の拡充が以前から求められており、その要請を受け 司法書士会は独自に相談窓口を設置していると聞いている。その詳細を示す資 料は、残念ながら私の手元にはないが、例えば静岡県においては、青司会所属 の司法書士が県下4ヶ所に常設相談窓口を開設しており、年間の相談件数は 1000件を超えている。また県司法書士会にも、常設相談電話を設置して、 要請に応えている。また全青司が主催する全国一斉110番においても、今年 度は28都道府県が参加した。しかしながら、この数字は大きく評価の分かれ るところであろうと思う。
 弁護士法72条の問題もあり、徳島問題以来、及び腰になっている単位会が 多い中で、よくこれだけの数参加したと評価するのか、あるいは「街の法律家」 を自認し、弁護士が都市部集中の傾向がある中、どんな地域にもいる身近な法 律家と自己定義しておきながらどの地域でも起きているこの社会的病理現象に、 無関心でいること自体、自己否定ではないかという評価も当然に出てくるであ ろう。
どちらにしても、相談窓口の不足は、未だに解消されていないことは事実で あり、困窮する債務者が、行き場所がなくさまよう光景は、我々にさらに努力 せよと訴えていると同時に、責任の一端が間違いなく我々法律家にあるという ことを深く自覚しなければならない。
各単位会の上部団体である日本司法書士会連合会においても、消費者部会を 設置して、この問題の対処を始めた。現在のところ、各単位会における研修等 の講師の派遣が主であるが、今年度からは、新たに消費者委員会を設置し、ク レサラ部会を独立させ、各単位会における取り組みの状況・諸外国の法制等の 調査も検討されている。消費者問題につき、ともすれば消極的であった日司連 が、この問題に本格的に取り組み始めたことは、各単位会の執行部における心 理的な城壁を取り除く作用も期待できよう。

運動と妨害行為

 以上縷々述べてきたように、司法書士がこの問題に本格的に参加し10年近 くの歳月が流れた。この10年の時の経過が、我々のこの問題に対する認識を 深化させ、さらには被害者と同行することによって、我々が教えられたことも また多い。
 しかし一方、司法書士の積極的な活動と比例して、相手方の妨害行為も、よ り陰湿化して続けられている。以前の妨害行為は前述のニコニコクレジット事 件等本格的なものを別にすれば、「うちの顧問弁護士と相談する」とか「弁護 士でもないのにこんなことをやるな」等々、たわいのないものであったが、最 近は特に司法書士に破産申立等を依頼した債務者に直接電話を掛け「・・は弁 護士でないから破産申立はできない」とか「司法書士の破産申立は2・3万で できる筈だが、お宅はいくら払ったか」とか、さらには司法書士への依頼ルー トの調査とか陰湿なものが多く、債務者によっては大きな不安を抱く材料とな る可能性もある。このような妨害は、ある意味では取るに足らないものではあ るが、これだけ社会から批判を受け、マスコミからさえも儲けすぎであるとい われているのにも拘わらず、なお貪欲に、裁判所に破産を申し立てるという最 後の救済方法の選択さえも妨害するという行為は、厳しく批判されなければな らない。
我々司法書士が、このクレ・サラ問題の解決を、より一層広範により一層真 摯に続けて行くならば、利害が対立する存在は、妨害行為を継続するであろう。 ひとつの社会的運動は、それが正しければ正しいほど、あるいは解決の道が困 難であればあるほど、何らかの軋轢が生じトラブルが発生する。したがって逆 説的には次のようにも言えるのである。「妨害というリアクションのない運動 は、大した運動ではない」そのように考えれば、妨害行為もまた、我々の運動 の正当性を担保し、保証しているとも言うことができる。
 この問題の解決には、膨大な時間がかかり、膨大なエネルギーを費やさなけ ればならないだろう。もしかしたら解決することはないかもしれない。しかし 「街の法律家」といわれる司法書士が、この問題に参加し、運動を継続し、社 会の病理現象に一貫して是正を求め、被害者救済という姿勢を維持していくの ならば、我々は真の意味で街の法律家と呼ばれる存在になれるであろう。