債務者本人の注意事項

生活の自己管理
何らかの事情で、サラ金等でお金を借り入れ、支払が苦しくなってしまってい ると仮定します。
このようなとき、まず第一に考えなければならないことは自分の生活管理です。 自分の収入がいくらで、どうしても必要なお金(家賃・電気・ガス・水道・食費 等)を差し引いて自分の使えるお金(可処分所得といいます)はいくらかを明確 に認識する必要があります。そのためには家計簿を付けることを勧めます。
そして無駄な出費はないか、車はどうしても必要か、必要であるにしても、もっ と安い車に乗り換えることは出来ないか。収入はこれ以上増える要素はないか。 アルバイトは出来ないか等生活全般の見直しを行い、経済環境の好転を努力する 必要があります。
以前同じように多重債務者一歩手前の人が相談に来て、収入を増やす事を勧めま した。彼は零細企業に勤めるサラリーマンでしたが、幸い年も30歳代と若く仕 事が終わった後タクシーの乗務員として午前1時頃まで働き200万円ほどあっ たサラ金の借金を1年程度で完済しました。
生活をいくら見直しても、改善するところがない場合は、(病気であるいは子供 が幼児で働きにてることが出来ない等)生活保護等の福祉関係の適用も考慮する 必要があり、支払が不能の場合は破産の申立・不能ではないが著しく困難な場合 は調停の申立も考えるべきで、絶対にやってはいけないことは、他のサラ金から 借りて返済資金をつくることです。

支払督促・訴状の送付
支払督促・訴状が裁判所から送達されることがあります。
通常このような事態になっている場合は、極めて経済環境が悪化していることで すから法律実務家・被害者の会等に直ちに相談に行く必要があります。
しかしながら、その踏ん切りがつかなく愚図愚図している間に、裁判に負けたと 同じ効果のある債務名義をとられてしまうことがあります。債務名義をとられて しまうとたとえその後、破産の申立をしても免責が決定するまでの間に、給料等 が差し押さえられたりする可能性があります。
ですから、このような書面が送付 されたときは直ちに専門家に相談してください。また相談事項は、これら書面の 対応だけではなく、根本的な解決方法であることを忘れないでください。

親族等近親者の注意事項

親族等による債務の弁済
例えば、29歳の息子さんのサラ金からの借金を、親がいわゆる「肩代わり」 して返済する場合があります。ところが、それから3年間経過したら、その息子 さんが再び多重債務者になってしまったということが実際によくあります。
このような事態に陥る代表的な理由は次の二つが考えられます。
その1は、親族が肩代わりするとき、息子さんに対して、強い詰問口調で借金総 額・相手先を聞くことです。例えば、300万円の借金があって支払が出来ない とき、「どこに借金があるんだ」と聞くと仮定しましょう。親にとっては憤懣や るせなく、怒りたい気持ちも分からないではないですが、あまり強く聞かれたの では、ついつい言いそびれてしまうことがあります。また債務者の心理として3 00万円の借金は返せないが、50万円の借金なら返せるという錯覚に陥ること も確かで、親族のあまりの剣幕に結局50万円ないし100万円の借金を残した まま「肩代わり」してもらい、その50万円ないし100万円の借金がもとで、 再びその借金を返すために他のサラ金から借金をして・・・とおきまりのコース をたどって、再度多重債務者になってしまうものです。
その2は、サラ金等の融資の勧誘です。前の例のように一部借金が残っていても あるいは、借金の全額を返した場合であっても、債務者の近親者に弁済するだけ の資力のある人がいるという事実をサラ金側は知るわけですから、業者にとって は上得意の客ということになります。そこで業者側は執拗に「借りてください」 と懇請します。当初はメール、そのうちに電話になり、訪ねてきたりすることも あります。もちろん毅然として断ればよいのですが、業者側もそこは商売ですか ら、あの手この手で勧誘します。元々サラ金で借り入れを起こさざるを得ない状 況ですので、生活費が充分であるはずもないのですから、そこで残念ながら再び 手がでてしまう、というパターンが多いようです。
では、親族等近親者の方が多重債務に陥っている人を援助するにはどのようにし たらよいでしょうか。
まず弁護士に委任して、任意整理をしてもらうことが考えられます。今までの 借金の返済を利息制限法に引き直し、そこから弁済計画を立てるのですから、長 い間借りている場合は、減額されることもあります。また
調停制度を利用する方 法もあります。さらには地元に被害者の会があれば会に相談に行ってください。 司法書士情報センターでも相談に応じます。
また、近親者に充分な資力があれば別ですが、その返済資金を他の金融機関から の借り入れでまかなうような場合は、無理をせず破産の申立も考えなくてはなり ません。

近親者の保証
例えば近親者が、保証人になることを頼まれたとします。当然依頼者は迷惑はか けないからというでしょう。しかしながらサラ金等は原則的に保証人を必要とし ていません。保証人を要求される場合は、負債状況が、極めて深刻なときと考え ていいでしょう。業者はコンピュータを備えており、負債状況は即座に調べられ るシステムを作っています。その情報が多重債務であると言っているから、保証 人を要求しているのであって、通常の状況ではありません。
したがって保証人となることは、きっぱりと断るべきです。それと同時に多重債 務の解決方法を考えてやってください。
問題なのは次のような場合です。
例えば、50歳になる主婦が買い物等でクレジット会社を利用している。順調に 返済しているときはいいのですが、何らかの事情で返済が困難になってしまい、 延滞がはじまってしまった。そこにクレジット会社の社員が現れ、「00さん、 00さんのお宅も大変でしょう。月々の返済金を減らしましょう。月々の返済金 は3万円で(それ以前は5万5000円)結構です。そのかわりにこの書面にサ インしてください。我が社も00さんの大変さを考えて譲歩しているのですから 00さんの方も、当社の誠意に答えるということで、旦那さん、娘さんが保証す るということでいかがですか」
00さん側は延滞しているという負い目もあって、さして深く考えもせず保証人 欄にサインするケースがよくあります。
しかも同時に債務承認契約なる書面(これは簡単にいうと現在の債務ー残債務元 金+損害金ーを新たな元本とし、この元本に対して利息を取るというもの−重利 となり借金総額が一気に膨らむ)にサインを求められ、さらには公正証書にさせ られる場合もあります。
このようなかたちで保証人となると、債務整理のためには、一家全員を対象とす るしかなく、元々は母親一人の債務であったものが、家族全員の債務であること になってしまい、種々の困難な場面に遭遇します。
ですから、このような場合も保証は拒否し、債務整理の方法を考えるべきです。

債務者の行方不明
クレジット・サラ金での借金が多額となり、その督促の恐ろしさから行方不明と なってしまう多重債務者がいます。すると業者側は、親・兄弟等に電話をかけて くることがあります。
さすが最近では露骨に子供(兄弟)の借金は親(兄弟)の借金とまではいいませ んが、暗に多重債務者を裁判にかける等の言語を弄し、近親者に借金返済を要求 してくる時があります。もちろんその近親者が保証人になっていなければ、法的 に一切の支払義務はないのですから断固拒否すべきです。
子の不祥事は親の責任という古い徳目がありますが、この徳目は別なとき使って ください。このクレ・サラ問題で、その徳目をだしてしまうと業者側の思うつぼ で、ありとあらゆる業者が請求してくることになります。
したがってこの場合も断固拒否し、支払義務のないものに支払を強要する場合は 刑法の罪に該当する旨、業者側に警告してください。

免責不許可事由のある場合(賭博)

賭博は浪費と並んで消費者破産の典型的な免責不許可事由です。しかしここで注意しなければいけ ないのは、破産法が定める免責不許可事由としての行為は、浪費等の行為により「著しく財産を減少し」 「過大な債務を負担」した場合である。したがって、例え賭博と思われる行為があったとしても、上記の 要件に当てはまらなければ、免責不許可事由には該当しません。
賭博は従来の競輪・競馬・競艇に新たにパチンコが加わったといっても良いでしょう。昔の遊技的色彩の 濃い遊びから射倖性の強いものに変わってきました。
債務処理のための相談者には「借金の原因の主なものは何ですか」という問いに賭博と答える人がいます。 そのような場合は、月々の収入と賭博に使ったお金・生活費・サラ金等への返済資金等精査する必要があ ります。例え少々パチンコをやったとしても、現在残っている借金の大部分は、サラ金等の高利の借金の 返済に使われている可能性が高いからです。
30%近い高利の借金を何年間も返済しておれば、その金額は莫大であり、現在残っている借金は、その 金利を支払ったものが大部分であると考えることは合理的ですらあり、実際に一ヶ月のパチンコ等に使う お金より、サラ金等への返済金の方が多いのが普通です。
特に多重債務に陥った頃には、返済金を捻出するのが精一杯で、賭博をする余裕資金など全くなくなって いるのが現状です。
ですから相談を受けた人も、賭博ということを聞いただけで「あなたは破産ができませんよ」などと 簡単に返答し片づける事は正しくありません。
なお、どのように解釈しても免責不許可事由に該当する場合であっても、債権者に一部配当をする ことを条件に免責が許可される場合もあるので、これら行為に該当するからといって、破産の申立を断念 することは間違いです。


 事例 賭博
 申立人はタクシーの運転手である。夕方仕事に出て、明け方まで勤務している。それから就寝し、 昼頃目を覚ます。・・・・出勤にはまだ時間がある。
彼は不本意ながら離婚した経験があり、妻方に一人子供を置いてきている。離婚に際して彼は、子 供らに仕送りをすることを、堅く心に誓う。
タクシー乗務員は時間的には比較的自由である。昼さなかに時間がとれる職場はめったにない。だ がその分退屈で、時間を持て余すことがある。彼は競輪にいくことにした。昼間の時間つぶしとい えば競輪かパチンコぐらいしかない。
彼はタクシーの運転手になって、早々にサラ金でお金を借りた。同僚も多数借りていたので心理的 抵抗は全くなかった。
 右のような状況である。破産はともかく免責許可までもっていけるか、微妙なところである。 しかし最大限の努力はしてみる必要がある。

三 多額の負債を負うに至った経緯
 前述の如く、申立人は、昭和五七年、父親太郎の経営する会社が倒産し、倒産にまつわる種々の トラブル及び妻好子の母親〇〇〇と申立人、申立人の両親との人間関係の悪化(妻好子は二女であ るが、〇〇〇は申立人家族が同人と同居することを強く望み、一方申立人の両親も同様に孫と暮ら すことを強く望んだ)により板挟み状態となり、双方とも自分の主張を曲げないため最終的には申 立人夫婦が離婚し、各々の両親のもとで暮らし、子供も長男は申立人、長女は妻が引き取ることと なってしまった。申立人としては、相手方両親と暮らしても良かったが、申立人の父母は、正に身 一つで夜逃げ同様に○○から離れるのであるから、ここで申立人が○○に残るということは親を見 捨てるような状況となり、申立人は断腸の思いで離婚し、両親長男とともに○○県に転居した。
 このような形で、好子と長女と別れたので、申立人はできる限り好子及び長女に仕送りをしよう と決意した。昭和五七年八月、全く知人のいない○○市に逃れてきて、申立人は〇〇スレートとい う会社に勤務したが、当時申立人は三〇歳代中盤にさしかかっており、同行した長男も小学生となって いた。また申立人の両親は、六〇才を超え、まともな就職はできるはずもなく、申立人一人の収入に 頼るしかなかった。
 申立人は懸命に働くも給料は月額二〇万円にも届かず、その中から別れた妻と子供に五万円の仕 送りをすれば、あとは食べるのにさえ窮する状態が続いた。
 申立人は、昭和六〇年より多くの稼ぎが可能なタクシー乗務員に転職し、両親及び長男さらには 別れた妻・置いてきた長女の生活費を稼ごうと、非常に長い時間仕事に従事し、仕送りを続け、か つ申立人家族らの家計を維持した。
ある程度タクシー乗務員としての仕事に慣れ、またより稼げるようにと深夜から翌朝に至るまで働 いていたので、昼夜逆転した生活を送っていたが、そのような生活にも身体が慣れた昭和六二年八月、 当月の稼ぎが、普段の月よりも少なかったので、申立人は子供への仕送り、生活費の足しにと00で 一〇万円の借入をおこした。同僚のタクシー乗務員の中には、いわゆるサラ金で融資を受けている ものが多数いたので、申立人はそれほどの心理的抵抗も覚えず、安易にもサラ金に手が出てしまった。  一度サラ金に手が出てしまうと、少々の生活資金が不足するようになると続けざまにサラ金で借 りる癖がついてしまい、昭和六二年一〇月には000で一〇万円、また昭和六三年四月には0000 で二〇万円と続けざまに借入をおこし、月々の生活費及び別れた子供の入学資金とした。
 また申立人は、タクシー会社に勤務して一年ほど経過した頃、やはり同僚に誘われて、月二回程度 競輪をやるようになった。一回につき一万円程度のお金を使うだけであったが、今般サラ金のことに ついて種々の相談室、法律家に相談に行ったところ「競輪をやる人間は破産ができない」旨を諭され、 事の重大さに驚愕したが、申立人としては、正に小遣いの範囲内でおこなっていたにすぎない。申立 人は愛娘と別れ、老いた両親と男の子を貧困の中で養い、また前述したよう昼夜逆転した生活を 送っており、何の楽しみもなく、唯一の些細な息抜きをしたまでであるが、謙虚に反省しなくていけ ないと思う。
 そうこうするうち、サラ金等の借金は減るどころか、徐々に増大してきて、申立人は慌てて、この 経済的苦境を何とか改善しようと、一日一四時間もの長期間にわたり、タクシー乗務員として勤務す るなど懸命に働いたが、バブル景気が崩壊し、客足はバタリと途絶え、特に申立人の勤務地である○ ○市は、夜間繁華街も閑散としており、稼ぎは減少する一方で、給料だけでは日々の糧を得るのが精 一杯の状況が続き、サラ金等への返済は、他のサラ金の借金でまかなわざるを得ず、負債は雪だるま 式に増大していった。
 申立人は毎月の返済表を作成してみたり、あるいは休日出勤も厭わず働いたが、月々の返済金に は遠く及ばず、ここ二年間余りは、約束した子供への仕送りもできず、毎日毎日借金の返済のこと しか頭にはなく(この間は競輪をやる資金的余裕も全くなかった)経済的に完全に破綻してしまった。


免責不許可事由のある場合(浪費)

浪費は賭博と並んで消費者破産の典型的な免責不許可事由です。しかしここで注意しなければいけ ないのは、破産法が定める免責不許可事由としての行為は、浪費等の行為により「著しく財産を減少し」 「過大な債務を負担」した場合です。したがって、例え浪費と思われる行為があったとしても、上記の 要件に当てはまらなければ、免責不許可事由には該当しません。
浪費の典型的な事例は若者の車の購入であり、中高年の女性の着物の購入であるといえましょう。特に後者は「買い物依 存症」等病理現象と着物等の販売会社・提携信販会社の営利至上主義による犠牲者という側面もあり 正確な聴取と申立書の詳細な記述が必要です。以下二つの事例を挙げておきます。
なお、どのように解釈しても免責不許可事由に該当する場合であっても、債権者に一部配当をする ことを条件に免責が許可される場合もあるので、これら行為に該当するからといって、破産の申立を断念 することは間違いです。


 事例  浪費
本事例は、一般的・形式的範疇では、破産原因が浪費といわれるものである。何分にもサラ金等からの借入れで、首が回らなくなっているのにもかかわらず、「ベンツ」を購入したのである。 彼からの事情聴取は困難を極めた。本人は金利のことなど全く理解できず、彼の頭の中にあるのは、ただ単に「月々の支払額」のみであった。
私が非常に憤慨したのは、彼の「無知」につけこむ社会構造であった。支払能力がないのは明白であり、また彼が「ベンツ」に乗らなければならない必要性など微塵もないのに、彼らは言葉巧みに勧誘し、高級車の売行きが最も落ちこんでいた時期、車を購入させてしまう。いくら契約が自由であるといっても許されてよいものか、否か。 またさらに、このような状況の中で、過剰融資をおこなう信販会社には責任はないのか、企業の根本的な責任が問われる。

三 多額の負債を負うに至った経緯
申立人は、車が好きで、運転免許取得可能年齢に達すると直ちに免許を取得し、昭和六0年六月農協 のローンを利用してトヨタクレスタを購入した。同車の代金は二00万円で極めて高額の車だったが、 月々の返済金は五万円程であり、その他ガソリン代・保険等を合算しても八万円程度で、当時の申立人は 二0万円程度の収入を得ていたので返済可能であろうと考えた。申立人は昭和六三年四月には、クレスタ を下取りに出しクラウンに乗換え、さらにはすぐにクラウンを下取りに出しミニクーパーにと次々に乗換 えた。勿論下取りに出すといっても、下取りにだす車の購入資金は金融機関からの借入れでまかなってい たのであるから、下取りされた金額は全額これら金融機関への弁済にあてられたが、いづれも残債が残っ てしまう結果となった。
申立人は、造園業という仕事柄か友人は車仲間しかおらず、他の仲間が次々と新しい車に乗換えるの をみるにつけ、自分もという気持ちを押えきれず、身分不相応であるという自覚に乏しいまま、ただ単 に車の月々のローンの返済額のみに注意を払うのみで、平成元年八月には、デトマスミニへと車を乗換 えていった。
申立人は平成二年七月〇〇好子と婚姻したが、申立人・好子共々新婚生活に必要な家財道具を購入す る資金を持ちあわせておらず、00信販から三0万円の借り入れをおこし、購入資金とした。
新婚当時から農協等の残債・車のローン等、さらには前述の日本信販からの借り入れの返済があり、 生活は楽ではなかったが、妻好子も働きにでていたので、苦しいながらも何とか生活は維持していった。
平成三年二月申立人家族に待望の長女〇子が誕生したが、同女は未熟児として予定日より三週間早く、 しかも帝王切開で出生し、先天的に心臓の一部に欠損が認められ、申立人夫妻は絶望の淵に立たされる こととなった。妻好子は心労のあまり仕事を休むことが多くなり、申立人家族の生活は一気に苦境に陥 るようになった。平成三年五月申立人は他の金融機関への返済・生活費を捻出するため000から五0 万円を借り入れ、同年九月には00000より三0万円と続けざまに借り入れをおこした。
ところが申立人は、客観的にみれば家計が火の車であることが明らかであるにもかかわらず、サラ 金等が極めて安易にお金を貸してくれるために、経済的困窮の極みにいるという自覚に徹底的に欠け、 平成三年一0月には外車専門販売会社の〇〇〇の営業担当者よりベンツの購入をすすめられ、申立人 が金がない旨告げると〇〇〇〇〇で四00万円のローンを組めば月々の返済金は五万円程度で済む (但しボーナス時二0万円)旨の説明を受けると、月々の経費は以前と同じであるので何とかやって いけるだろうと安易にも考えてしまい、同車を購入してしまった。またクレジット会社は不動産を所 有している保証人が必要であるとし、叔父の乙野太郎が保証人となった。
 それでなくても家計は火の車であるのに、さらに車のローンの支払いが加わったのであるから結果 は火を見るより明らかであり、ローンの支払いのために他の信販会社のキャッシング等あるいは新た な借り入れの申込みをなしたが、それでも追いつかず、また申立人にはボーナス制度がなかったので、 平成四年一二月ベンツを二三0万円で売却、この金員は全額〇〇〇〇〇の返済にあてたが多額の残債 が残る結果となり、申立人は経済的に完全に破綻していった。

  事例 浪費+悪徳商法
 世の中には、種々の悪徳商法がある。その方法は巧みで、本来被害者である当事者も、指摘され なければわからないことが多い。
 現在はカードを所持することによって、かなり高額な商品でも購入することができる。消費者は 月々の支払額のみ考え、目前の華美な商品購入という誘惑に勝てない。消耗品を五年の割賦で購入して、 品物が使えなくなっても支払をしなくてはならない不条理がわからない。
 悪徳商法の業者は、名簿をもっている、悪徳商法の被害者は、他の悪徳商法の被害者になる蓋然性 が高いといわれている。性格的なもの、心理的なもの、いろいろ原因は考えられるが、何度もターゲ ットにされ、深みにはまってしまう。
その心理的経過は不可思議である。何度聴取を繰り返しても、遂に理解するには至らなかった。
 彼女の場合は簡単な聴取では、浪費としての側面しか見えてこないであろう。着物・コート等の 高級品が、いまだに手元にあり、しかも高価なものが多数含まれているからである。
しかし形式的に「浪費」とみられるものの、元凶は悪徳商法であると確信を抱いた私は長い聴取の後 次のような申立書を書いた。
またクレジット会社にも大きな問題があり、申立書には通常は添付しないクレジット代 金の支払い明細書を添付して裁判所の理解を促した。

三多額の負債を負うに至った経緯
 申立人は、昭和四八年に、申立人四二才の時、甲野太郎と婚姻したのであるが、同人は警備員をして おり、貧しいながらも平穏な生活を営んでいた。申立人の年齢では、もやは子供をつくることができな かったので、婚姻後は専業主婦として家事に従事していたが、昭和五二年からパートタイマーとして働 きにでたが、その後退職し、再び専業主婦となっていたので、何かと時間があまり働きに出たいと思って いたところ、昭和五五年三月、新聞の折り込み広告でパートタイマーの募集があり、〇〇〇〇〇に勤務 した。勤務したといっても、同社の本社は東京で、正式の従業員になったのではなく、各地方都市で、 同社が開催する展示即売会の雑役のパートとして稼働したという意味である。同社は、各地方都市のホ テル・結婚式場・産業会館等を三日乃至四日程度借り切り、展示即売会を開催し、その都度パートタイ マーを募集するのであるが、申立人は、パートタイマーとして、月二度程度のペースで応募して働いた。 同社の扱い品目は、毛皮・コート・宝石・着物・家具等におよび、高額のものが多かった。
 申立人の収入は、洋服・着物等の折り畳み、ハンガー掛けなど雑役が主であったので、一日の収入は 一〇〇〇円程度にしかならず、ただ、友人・知人等を会場に同伴すれば二〇〇〇円の手当がもらえた。 むろん、申立人が連れていった友人・知人等が展示即売会で商品を購入すれば、さらに手当がついたが、 同社の扱う高級品では、申立人の友人・知人等が購入できる金額ではなく、全く商品売買の実績は残せ なかった。
 申立人は、この展示会のパートタイマーが同社の主催するものでは初めてであったので、売上げ に貢献できなかったことを、さほど気にしていなかったし、また店長等も何もいわず、また次回お願 いします等穏やかに言っていたが、以前からパートとして働いていた人間の中には、洋服を買わされた 人がいたもようである。
 時を置かず、今度は○○市の○○○埠頭の会場で、同様の展示即売会が開催されることになり、申立 人も応募し、採用されたが、今回も売上げには何の貢献もできず、売上げ実績を残せないでいたところ、 同展示会の店長あるいは主任から、着物を購入するよう勧められた。申立人の気持ちとしては単なる パートタイマーであり、買う義理はないと思ったが、今回も販売実績に貢献できず、何となく肩身の 狭い思いをしていたところであったので、また店長の口調は慇懃ではあったが、有無を言わせぬ迫力 があり、また会場の雰囲気、購入を勧誘された雰囲気、さらには他のパートタイマーも購入しているの を見、さらには店長の「月々の支払は一万円ぐらいですよ」「この程度のお金は、ここで働けばおつり がきますよ」という言葉に乗せられ、大島の着物を三〇万円で購入させられてしまった。
 申立人は、金融知識は皆無といってよく、また金利等がどういう意味を持つのか、あるいはクレ ジットの仕組み、さらには、この展示即売会がどのような商法であり、この商法のターゲットが、 単に金持ちの人間のみ相手にしているのではなく(裕福な人間が極めて高額の洋服等を臨時に仮設さ れた展示場などで購入するはずがない)、パートタイマーとして働いている申立人らにも向けられて いることなど、全くわからず、また、商品の価格にしても月々の支払額がいくらになるかしか頭には なく、さらに申立人は、性格的に弱い面があり、元々裕福な家庭生活を送っているのではなく、全く 必要のない高価な着物を買う必要など、更々ないのであるから、きっぱりと拒絶すればよいものを、 拒絶するだけの気の強さを持ち合わせず、その場の雰囲気が、どうしても購入しなればならない雰囲 気で、その雰囲気に負けてしまったものである。
 その後、今度は月々一万円程度とはいえ、その支払分をこの展示会でのパート収入で補わなければ ならないので、○○市近郊で催うされた同展示会には、パートとして勤めるか、あるいは友人・知人等 を連れて参加し、手当を貰うかのどちらかの方法で参加し、何とか一万円余の収入を得ようと努力した。  しかしながら、当然の事ながらこれらの商法は、申立人の思惑ほど甘いものではなく、三・四回友 人・知人を連れて一回二〇〇〇円の手当を貰ったとしても、友人・知人が商品を購入しなければ、店 長らは申立人自身に、商品を購入するよう、暗に強要し、全く意志の弱い申立人は、手当を貰いなが ら商品の売上げに貢献できない負い目を感じており、躊躇しながら、全く本意ではなく買わされてし まうという、愚かな結果となってしまった。今回購入させられた商品は一三〇万円もする洋服であった が、またも愚かな申立人は、月々の返済額が約三八〇〇〇円であるので、何とか支払える金額である と判断し、前回と同様な心理的圧迫を覚え購入してしまったものである。
 考えてみなくても、幼児でさえもわかることがらであるが、申立人のパートあるいは集客手当とし てもらえる金員は、一回(三日乃至四日)良くて一万円程度にしかならないのに、このような高額の 商品を購入することなど、全く理屈にあわないことであり、申立人自身の心理を昭和五五年当時に 遡って分析してもよくわからないのであるが、クレジットを返さなければならない、そのためには 働いて収入を得るしかない、たとえ僅かなお金であっても何も収入がないよりは良い、そこでまた 応募してしまうのであるが、応募するときは、今度は絶対に購入しないと決意し、実際にも、三・四 回は、パート収入もしくは手当を貰うだけで、品物は購入しなかったのであるが、それが続くとまた 同様に強要され、拒絶できないと言う悪循環が続いた、と考えるしかない。
 また申立人のように意志の弱い人間のリストは、類似の商法をおこなう業者に回されるらしく、 熱海の温泉旅行に招待され(業者の言によれば、申立人は選ばれた者であり、ラッキーな人であ るとのことであった)夕食を食べていると、係員らしき者が、ほぼマンツーマンで、商品の購入を 勧め、全く断れる状況ではなく、桐のタンスの購入契約を締結させられてしまった。この代金は一 五〇万円もした。
 右のような次第で、僅か一年位の間に多額の負債を負ってしまった申立人の家計は逼迫したが当時 は少々の貯えもあり、夫も働いていたので、何とか生活を維持できた。しかし、貯えも段々底を尽き はじめ、申立人は何とか家計を立て直そうと、昭和五七年七月から〇〇〇〇サービスに勤めにでた。 しかし家計は慢性的不足状態になり、申立人は、クレジット代金支払いのため慢性的に不足する生活 費を、すでに商品購入に際して所持していたクレジット会社のカードでキャッシングをおこし、生活 費等に充てていたが、融資枠が足りなかったので、サラ金に手を出さざるを得なく、昭和五八年三月 に0000クレジットで二五万円の借入をおこし、クレジットの支払・生活費に充てた。その後も同 様なかたちで、クレジットの支払、さらにはその返済のために借りたサラ金への支払のために、他の サラ金に手を出し、申立人の家計は益々逼迫していった。
 〇〇〇〇サービスは結局昭和六一年二月退職し、同年五月から○○○食品に勤務したが、当時申立 人は五五才と年齢も高く、特殊技能を持っているわけではないので、月収は五万円程度にしかならな かった。
 一方申立人のクレジットでの商品購入の支払およびサラ金等への支払は、月額一〇万円弱になり、 五万円ほど返済金は不足した。
 しかし、申立人は五五才から共済年金の受給資格ができたので、月額七万円程度の年金がもらえる こととなり、この年から何とか息を継いだ。
 年金の受給により、一安心していたところ、また情けないことに、申立人は、いわゆるパーティー 商法に引っかかり、全く必要のない下着を総額二〇万円余で買わされた。さらに平成五年一二月には、 着物の○○○(本社東京)の○○支店店長から、熱海への招待旅行に誘われた。申立人は、ここ何年 も借金の返済のことで頭が一杯で、旅行等行ったことがなかったので、またもや無料であるとの言 に引かれ、反面また着物を買わされるのではないかとの危惧もあったが、結局同店長の誘いにのって しまった。ショーなどの見学の後、思った通り、着物等の購入を勧められた。申立人は、支払うお金 がないといって断ると、月々の支払は一万円程度でいい旨のべ、またもや申立人は断りきれず、○○ ○の着物を購入してしまった。(着物の代金は一三六万円と高額であった。しかし申立人は月々の支 払金額が幾らかしか頭がまわらず、その金額がつき一万円という事なので購入したものである。しか し、その後判明したことであるが、〇〇〇〇で組んだクレジットは、最初の一〇回目までは、店長の 言のとおり月一万円だが、一一回目からはいきなり月四万四〇〇円となり、一九回目からは月五万五 三〇〇円となるようなものであった)また同時にコートも購入させられてしまい、この代金は二三万 円で月々の支払は七五〇〇円であった。
それでも夫太郎が、警備員として稼働している間は、、徐々に負債が増大していって自転車操業では あったが、何とか危ういながらも家計を辛うじて維持しており、この一四年間に支払った総額は莫大 な額におよんだが、負債は一向に減らず、平成五年一一月、同人も定年で警備員をやめ、少ないと いっても月一五万円の収入が途絶え、老齢年金を受給するだけとなってしまったので、家計は一気 に逼迫して、その後は申立人の年金を前借りしたりして、凌いだが、クレジットの残金、その支払 のために借りたサラ金等の支払のため、負債は雪だるま式に増大し、申立人および夫の年金を合算 しても、支払える額ではなくなり、平成六年一一月頃からは、これらの返済をするだけの金員を捻 出することができず、経済的に完全に破綻してしまった。