前書記長より

現場を直視する事からはじめよう

全て現場主義、現場に神宿る。全ての問題点は私たちが働いている現場の中に本質が見える」「現場の中に本質を見つけ高い視点で考え掴んだものを、「再び現場に返す

札幌政策フォーラムで、中坊弁護士が熱く語った冒頭の言葉である。

弁護士が「弱きを助ける」仕事なら、労働組合も、ひとり一人、立場の弱い労働者を守る事が役目だろう。今の郵便局の置かれた立場は、激流の中にいるともいえる。しかし、民営化論に目を奪われ、新公社に向けた「労使共同作業」に奔走する中、足元の郵便局職場で起こっている地殻変動に目を背けていないだろうか。

ここ、平和の地=長崎に集まる代議員のみなさんは、職場の代表として参加されている。その足元では組合員の多くがなにに悩んでいるか。職場を追い詰められ、やむなく退職したり死にいたるものもいる。そこから目をそむけ、現場を見ようとせず、自ら「高い視点」とおごる人は、現場を説得する事しかしようとしない。

彼らは概して、発言が高圧的であり、職場の問題が聞こえないから語る事が出来ず、ことさら問題を羅列する他者を侮蔑し、「大人になりなさい」と平気で諭し、自ら胸をはる。

そんな全逓の支部役員まで、増えてきた。

いま、郵便職場で起こっている事。

それは「民営化を前にした国鉄時代」と似てはいないか。

・自爆営業の強要は、忠誠を誓うための自己持ち出し、『事業』への献身を意味し、

・茶髪まで許さない統制は、どんな些細な事でも『逆らう』事を許さない強制であり、

・常態化するサービス労働は、労基法=労働者の権利など職場に無い事を自覚させ、

・人事交流は、職場の制圧権が完全に当局にある事を意味する。

ただ違うのは「闘う労働組合」が無い事だ。しかし権力の暴挙とは限りが無い。徹底して物言わぬ職場作りに、「パワーアップ期待職員」という名で造反者をあぶり出し、排除しようとする。

全逓が「目をつぶる」人事交流は、ここ東海郵政局でも露骨に表れている。現職の支部長、書記長等、当局に都合の悪い支部、役員を全国大会論議前に支部外へ排除した。(6.1人事異動)

しかも全逓は、機関としてこの不当労働行為の摘発をしようとしないのだ。むしろ、全逓の従来の方針に従い「良質な」労使関係を保つ事が解決であり、「集中局支部としても・…労使の信頼関係づくりに努力するよう要請した」と、東海地本が指導文書を発している。

こういう実体を、組合員はしっかり見ている。そこで学ぶ事は、更に局に従順になるか、組合に失望するかであり、全逓に期待する人はいないだろう。

6月14日の東海地方委員会は、さすがに支部役員の強制配転への地本の対応には批判が相次いだ。むろん、「この間の集中支部の、労使関係の姿勢が悪い」と指摘する一部の支部もある。

大方このような支部役員こそは、なぜか「自分だけは配転させられない」と言う自身に満ちている。委員会は、議長集約で「職場の問題を全国大会に持ち込む」ことが確認された。東海の発言に期待されたい。そして、ネット情報によれば、人事交流による支部潰しは東海だけではないらしい。

みなさんの所はどうだろうか。

人事交流はこの4月、私達、静岡みなみ支部の財政部長を配転させて支部機能を突然失わせたが、静岡南局では5月、極めて特異なケースがおこった。

A採用女性の配転による、泊まり勤務

かつて80年のスト権スト当時、「闘う全逓」時代の支部書記長だったS局A郵便課長は、過去を知る、都合が悪い職員として、常日勤窓口専担のA採用女性を、強引に区分局郵便課に配転させ、泊まり勤務を「同意」させた。静岡南局郵便課に配属された彼女は、職員が激減した区分局の変則勤務を強いられている。

この事態を継続させている判断は、当該局の局長と課長にある。

周りは、「彼女を早く辞めさせる、嫌がらせのなにものでもない」と語る。支部はむろん改善を要求している。しかし、7月栄転を前にした管理者達は、こういう「点数稼ぎ」に必死であり、更に合理化施策の先行を互いに競い合う。労働組合が「人事に無力」であるということは、組合員個々の雇用を守り切れ無い事を支部役員の私たちは知っている。

このA採用女性の変則勤務職場への強要配転は、もう一つの危険性が秘められている。

いま、新採はB採用を取らない。職場はA採用者であふれ、事務センターなどの合理化では多くのA採用者が吐き出される。彼らの行く先は「変則勤務職場」が用意され、たとえば高齢者等が意図的に配転させられたらどうだろうか。

(昇職を目指す女性職員であれば、むろん別だが。事例は現状を求める職員である)

私達は、組合員個々の事例に対し、それを守る事が雇用を守る事であり、個々の価値観を認めることが「個々の尊厳を守る」ことと考える。いま、郵便局職場で起こっている問題こそ、労働組合にとって「現場に宿る神」ではないだろうか。人事、処分、昇職など苦情処理への交渉権を持つ事。「全員参画」郵便営業の圧制から職員を守る事、その無意味さを論証する事。労働運動が機能していない、全ての郵便局職場における、ただ働きの是正

郵政「民営化」をめぐる外圧には、事業を守るために「全てに目を瞑る」しかないのだろうか。

入札をめぐる郵便輸送業者間の、労働条件の切り下げ。非常勤化による労働者間の更なるヒエラルキー。これらの問題は、日本の企業別本務者組合の弱さを物語る。しかし、産別組合運動のカギを握る連合の弱さでもある。そして、非常勤化が進む中で、彼らを組織できない郵便局職場の労働運動の弱さでもあるだろう。ゆうメイトと本務者職員とのかい離は、深まりつつある。

たとえばこれからの組合のあり方

支部は、あらためて労働組合とはなにかを問う。

政治も、経営形態も、社会構造も、平和運動も、そう言う事の基礎として職員個々の『尊厳』をいかに守り合うかを提唱したい。職場の理不尽な行為を摘発し、個々の雇用を守るためには数が必要であり、底辺の団結が交渉力を持ち、人事と昇職への苦情処理機能の充実が大事だと思う。

勝ち組の組合は必要無い。しかし、負け組の職員だけが肩を寄り添い集まる群団でも、微力だ。

郵便屋は、いつの時代、どこの世界でも世間一般的労働者の集まりである。むろん、当局に対してYES人間もいれば、BUT(だが、しかし!と問いを発する)人間もいる。そして、(我が心、ここにあらずという自分の世界を持つ莫大な)透明的存在の人間がいる。事業への無条件の「忠誠」は、現場の良識を失わせ、チェック機能が働かず、しいては事業のためではないだろう。会社(資本)から精神的にFreeでありながら、事業のあり方を考える姿勢を基本ベクトルとした郵便労働組合のあり方をここに提唱したい。

「ニュー・ユニオン」に異論者は多いだろう。しかし、仮に多数派組合の創設が可能であれば、静岡みなみ支部は、日本郵便労働組合―JAPAN・POST・UNION―を提唱する。

機関は公社化の郵政形態に合わせ、全国単一組織・中央本部 組合費 1000

 (全国大会は3年に一回、中央委員会は年一回、公開性)

  地方自治に対応して郵政局県単位に対応した・地区本部     1000

    単独局を基礎として約300人を基準とした・支部     1000

      全労災に基づく生協共済を充実させた・共済費    +1000 円

検討すべきは、公社化に伴う国企労法8条但書きの「管理運営事項は団体交渉の対象に出来ない」という定めを撤廃する事にある。「人事と処分は聖域」という今の労使交渉の流れを、何としても変えなければならない。すなわち、公社化は「人事と処分」を団体交渉できる苦節の扉でもある。

それが、「勝ち組」だけのYES人間集団の組合に権利が渡ったとき、民間で良くある労使が企業を制圧した職場となり、チェック機能は失われ、企業そのものが末路を迎える事になる。

「互いに労働者としての尊厳を守り合う」人事と処分等に関する個別の苦情を、現場支部段階で交渉する機能を持つ、多数派組合。それが労働組合としての当たり前な姿であり、戦後労働運動の清算でもあり、日本の政治活動の「新生」に繋がるだろう。

労働者は、たとえ勝ち組であっても、『なにかあったときのため』に、掛け捨て保険として一律の組合費を払う。そして個々人が、生き方として指示政党を選ぶ事で、政党は労組に依存しない自立した活動が可能となるのではないだろうか。

いままで6000円の組合費を全逓に払っていた組合員は、組合に3000円払い、あとの3000円は思想、宗教に回すことで、自らの生き方に責任が持てるだろう。

 

ヒロシマ、ナガサキにかすむ

全国大会

21世紀へ―

昨年の広島大会、そして今年の長崎大会と世紀をはさんだ全逓の全国大会は、内なるものとしては大きな意味を持った。しかし、国民的大人気の小泉政権「郵政民営化」風潮の前に、「郵便局労働組合、民営化論に反対」という注目される見出しを、マスコミに取り上げられる事は無かった。

一部でニュースが報じたとはいえ、これほど世間から無視された全逓の全国大会も珍しい。そうなると、郵政関連部内者間で、内々に盛り上がっただけの大会だったとも言える。

いま、世間とは離れて、郵便局内の論議は単純である。

ある意味、誰が役員をやってもこうすれば良い。

小泉政権前までの情況は、「2003年の国営の新たな公社に向かって条件整備だけををすべき時」だった。

我々の身分は、国家公務員で保証されている。貯金、保険は自主運用といえ、財投債など公的債権につぎ込めば安泰。郵便事業だけが、赤字構造を見直し、民間参入の規制を高め、国営公社の地位を守る必要がある。それが、小泉内閣の誕生と、圧倒的支持で大きく変わった。目の前の危機は、労働運動を単純にさせる。

公社は、民営化への過程に過ぎなくなりそうだ。まさに、郵政部内の、官僚・管理者も、特定局長会も、労働組合も、関連業者も、全てが「内なる力を一つにして」国営の公社を維持しなければならない。それぞれが、血を流す時である。

郵便は、「新生ビジョン」の大改革を労使共同作業として取り組む。赤字はもってのほか。そして民営化国会議員に対抗するためには、7月の参院選で国会へ郵便局の声を届ける、伊藤もとたかを何としても勝利させる必要がある。それこそが、わたし達と家族の生活を維持し、守る事となる。

以上

全ては、「7月29日の参院選に掛かっている。今すべきは、その勝利しかない」に集約される。では、結論が見えた全国大会は論議になるのか。いくつかの職場問題も、言いっぱなしで終ってしまう。そして、大会は「いとうもとたか勝利」で、幕を閉じた。

昨年の広島、そして長崎だから、「平和」へのアピールはある。しかし、今の全逓運動に「反戦平和」の柱は無い。反核はあっても「反原発」の思想も無い。

昨年の広島大会は、民営化論議の緊迫感は無かったが、国営公社への移行に、論議は盛り上がらなかった。「ニューユニオン」が上がっただけだ。いまや、全逓のかつての「反対派」の多くは、全逓を離れている。大会はますますシャンシャン大会の様相である。そして、あらぬ「民営化」攻撃は全てを一色に染め上げた。本部批判など出るわけもない。そして、気付いた事は、場所柄「平和公園」の伝えるもの、平和資料館の真実の重みに、大会が吹き飛んでしまう事だ。

かくも、昨年の広島大会はヒロシマの記憶しか残らず、長崎大会は、伊藤もとたかの熱い語りも、ナガサキの歴史にかき消された感がある。支部役員として言える事は、上記の正当論しか残されない。 

では、支部はなにを長崎大会に伝えに行ったか。

いつになく、8名もの多数によるビラまきは、4名の傍聴責任と支部長の代議員で重責を果たした。大会へ「職場問題を持ちこむ」こと。

人事交流による業務品質管理の「低下」という、区分局ならではの新たな視点と、A採女性の泊まり勤務指定という、全国初の暴挙の周知。そしてあらためて組合のあり方、組合費3000円への提言を大胆にアピールして来た。イイ悪いは別にして、全国でも特異な支部としてHPも宣伝して来た。

支部の、全国大会への「勝手な?」ビラまきは、実に10年前の千葉大会(4.28切り捨て)からとなる。全逓も、支部も今の形態はあといくばくかであるなら、今できる外への最大の行動でもある。

支部は、あらためて労働組合とはなにかを問いたい。

郵政民営化への危機感。しかし、「国営」に一枚岩の意識は無い。それほどまでに、マスコミから伝えられる郵政部内の問題は大きい。郵便事業をめぐる腐敗には失望する。ではみなさんは、何のために下がりつつある給与から、7,000円もの大金を全逓に払うのか。いま、しっかり足元を見直さないと、30万職員、総ニューユニオンともなれば、労使一体の「何もしない」組合に高額が支払われる事となる。

郵便局の腐敗が取り上げられるたびに、何人かは、「民営化したほうがイイよ」と口にする。そういう流れを前に、支部は大会を設定したい。

全国大会を受け、東海地方大会は50周年を記念して7月5日に行なわれるが、論議は参議院選勝利に終るだろう。今回の東京都議会選挙で見られるとおり、自民・小泉の圧勝の流れは参議院選まで行きそうだ。ひとり全逓が内々で叫んでも「ながれ」は呼び戻せそうも無い。

むしろ、今の問題を支部は取り上げ、郵政のあるべき姿の論議を進めたい。

長崎は、大荒れの天候だった。

それは、全逓そのもの、郵政三事業の取り巻く状況そのもののようでもあった。