市民と法 創刊号

消費者問題と司法書士

                    司法書士  芝    豊

法律家としての存在意義

 戦後最大とも思われる未曾有の大不況の中、種々の変革が行われている。こ の変革の趣旨が、社会をよりよい未来に方向づけているのか、あるいは単なる 日本社会を形成している金融、ゼネコンをはじめとする大企業の救済のためな のか定かではないが、いわゆる金融ビックバンといわれる大改革は消費者であ る市民にも当然大きな影響がある。
 社会は種々雑多な経歴を持ち、思考を持ち、相反する利益主体を持つ人々の 集まりである。すべての人々に対して、幸福な制度を持つことは事実上不可能 なことだ。強者対弱者・富裕層対貧困層との対立は、資本主義社会が、根本原 理的に持っている宿命で、少々修正することはできても、根治することはでき ない事柄であろう。
 このような社会の中で、しかも法律家として生きていくためには、決して容 認してはならない事象がある。それは強者が弱者を食い物にして、利潤を追求 するという行為である。この一点だけは、何としても譲ってはいけないことで、 容認しないまでも黙認し、その行為に対し明確な「否」という意思表示をしな いとしたなら、法律家としての存在意義の大半は失われることとなるであろう。

金融ビッグバンを直視せよ

 最近次から次へとビックバンに伴う法律が制定されている。「債権譲渡の対 抗要件に関する民法の特例等に関する法律」「特定目的会社による特定資産等 の流動化に関する法律」(SPC法)「債権管理回収業に関する特別措置法」 (サービサー法)等々、これら法律の内容の説明、意義等は本稿では触れない が、いずれも司法書士にとっても関連深い法律である。そしてさらに今国会で、 ノンバンク業者が待ち望んだ「金融業者の貸付業務のための社債の発行等に関 する法律」(通称・ノンバンク社債発行法)が可決成立した。
 この法律は、銀行以外のものでも貸出金に使用するために社債を発行するこ とを解禁した法律である。今までは出資法が社債購入者保護のため、銀行以外 のものに営業目的のための社債の発行を禁止していた。我々にとって出資法は 利息制限法と並んで非常に大きな法律なのである。この法律を改正してまで 「資金調達チャンネルの多様化」という企業側の論理に従う必要がどこにある のだろうか。もちろんこの法律も社債を発行する会社の要件を一応定めている が、決して厳しい要件ではなく、今後中堅ノンバンクも社債発行に踏み切るの は確実だ。その会社が倒産したらどうなるのか、当然に社債は紙屑になる。た とえ一部の業者であるとはいえ、大手アパレルメーカーが、社名を混同される おそれがあるとし、消費者金融会社に使用差止を求め、最高裁で勝訴判決を得 たのにもかかわらず、かなりの期間看板の撤去に応じないという法治国家とし ては考えられない暴挙をする会社が混在する業界に、はたして直接金融を許し てよいものなのだろうか。
 さらには、この法律に関連して次のような大問題がある。
 この法律の制定が金融ビックバンの一環であることは確実なことだが、金融 ビックバンの根本理念は、公正・公平である。この理念に基づいて、法が制定 されたことは間違いない。金融機関にとって資金調達の方法は重大事であるこ とは論をまたない。しかし一方、我々が常に糾弾してやまない貸金業規制法四 三条のみなし弁済規定がある。この規定が現在における多重債務者の増大の大 きな要因を占めていることもまた異論のないところである。当然のことながら、 この規定の適用を受けるのは、ひとり貸金業者のみである。銀行をはじめ他の 金融機関が、利息制限法という厳格な法の適用を受け経営しているのに反し貸 金業者は、根拠の薄弱な規定により、利息制限法以上の金利を取れるという特 権が付与されているのである。資金調達分野では、ほぼ平等が達成されている のにもかかわらず、貸出金利においては、極端に高利の金利が許容されている という現実が、はたしてビックバンのいう公正・公平の理念と合致しているの であろうか。「みなし弁済」の規定の撤廃が、各方面から主張されているが、 その主張の根拠は、破産申立件数の一〇万件突破、あるいはサラ金業者史上空 前の利益という現象面からとらえるのではなく、正しくこの法律「ノンバンク 社債発行法」の成立が、論理必然的に撤廃の根拠となりうるものなのである。
 このように一つの法律の制定にあっても、一般消費者に直接関係する事柄は 多くあり、さらには法律の立法趣旨にかかわらず、悪用される危険性はないか、 消費者保護施策は十分であるか等検討勉強しなくてはならない事項は多岐にわ たる。法律家がその任の一翼を担うことは当然のこととなるのである。

表層にとらわられるな

 また我々は、社会的事象に敏感でなければならない。特に政治家・官僚等の 発言が変わったときは、その後何かあると考えなければならないのである。以 前大蔵省が消費者金融、消費者信用販売、住宅金融専門会社等を一括してノン バンクの呼称に変更したときのことを思い出すべきである。
 現在政治家・官僚が盛んに言う言葉は「自己責任」である。当初は巨額の不 良債権を発生させた企業に対して用いられていたが、次第に一般市民に対して も同様な言い方をしている。確かに自己責任の下と言われれば一般には当たり 前のことを言っているような感じがして、多分誰も問題視しないであろうと思 われる。しかし我々から言わせれば、自己責任という前に前提が違っているの である。自己責任を問われるのは、契約当事者が対等でなくてはならない。不 完全な情報開示、自己に有利な条項を、ほとんど見えないような細かい字で羅 列してある約款、リスクに関する告知義務の不履行、このような状況の下で締 結された契約に自己責任を押しつけるのは、正義ではない。にもかかわらず、 これからこの言葉は種々の消費者被害の現場で、相手方が声高に主張してくる ことは間違いないであろう。
 社会の混迷の度合いと比例して市民の間に心理的不安が広がり、その不安心 理を除去すると言って巧妙な手口で欺く悪徳商法、一般人の持つ善意・心理的 盲点・法の無知に乗じて、自らの利益を図るこれら商法がはびこっているのは 誰の責任か、被害の拡大を阻止できなかったのは誰の責任か、「世の中にうま い話などない」と一言で責任を転嫁してしまったことはなかったか。
 庶民の最大の夢でもあり、将来の可処分所得の大半をもつぎ込んで、マイホ ームを建築したのにもかかわらず欠陥だらけだった。欠陥が露呈した家に住み、 毎月毎月住宅ローンを払っていかなければならない不合理は、誰かが是正のた めの努力をしてやらねばならない。
 右の消費者の抱える問題は、当然私の問題であり、あなたの問題でもあるは ずだ。我々司法書士が社会から負託を受けている法律問題は、会の主催する研 修会の中にあるのではなく、困惑する市民の中にあるということを、再度確認 し明記しておかなければならない。
 以上紙幅の関係で、簡単なことしか触れられなかったが、消費者問題は、あ まりにもすそ野が広く、また奥深いものである。法律家と名乗る人間が総出で、 この問題に対処しても消費者をめぐるトラブルは後を絶たないともいえよう。
 さて、こうした消費者問題と司法書士との関係は? 私の地元(静岡)では 「社会的事象で司法書士に無関係なものはひとつもない」と言って終わりだが、 ここでは、「街の法律家ですから」ということでスタートすることにしよう。